鄭成功は中国大陸で、明が衰退し、清が勃興した時代の変革の大混乱期に「抗清復明」をかかげ大活躍した人物です。
父は中国人海商の首領「鄭芝龍」で明王朝の遺臣、母「田川マツ」は長崎の商人の娘で二人の間に日中混血の子として生まれました。幼名を「福松」、中国名「鄭森」といいますが、のちには明の隆武帝より、明王朝の国姓「朱」を賜ったことから「国姓爺」と呼ばれました。明王朝滅亡後は、オランダ支配下の台湾を制圧し、台湾の開発を促進したことから「開土王公」と呼ばれ、いまだに尊敬されています。
病没するまで明王朝復興を願い、大陸の清と戦い、日本では近松門左衛門の「国姓爺合戦」のモデルとして有名です。
鄭成功記念館は、東アジアの英雄「鄭成功」が7歳まで育った世界にひとつしかない生家を再現すると共に、「鄭成功」の偉業を顕彰し後世に伝えるため再現されたものです。
鄭成功記念館山門
2016年9月完成。
鄭成功記念館へ続く参道に、山門が建てられました。
鄭成功分霊廟
2024年4月完成。
昭和37年(1962年)平戸で鄭成功の歿後300年の記念式典を行うにあたり、台湾の延平郡王祠より分霊がおくられ、鄭成功が生まれたと言われる「鄭成功児誕石」を見渡せる高台の丸山公園に祀っておりましたが、老朽化のため鄭成功生誕400周年記念事業として令和6年(2024年)4月に鄭成功が生まれ育った居宅跡に新築されました。